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新潟地方裁判所長岡支部 昭和28年(ワ)188号 判決

原告 丸山三四治

被告 国

国代理人 館忠彦 外二名

主文

被告は原告に対し金六万円及びこれに対する昭和二八年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一、請求の趣旨

「被告は原告に対し金一〇万円及びこれに対する昭和二八年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

二、被告の申立

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二当事者双方の主張事実

一、請求の原因

(一)  原告は昭和二七年四月頃から同年五月頃にかけて、新潟県南蒲原郡加茂町(現在加茂市)の織物業者から織物売却の依頼を受け、当時京都市において買継商をしていた訴外佐藤晴雄を通じて、京都市の問屋に織物売買の仲介をしていたものであるが、その頃訴外佐藤が京都市において集金した織物売却代金を費消横領したため、新潟県加茂警察署の捜査するところとなり、その結果同署は訴外佐藤を右集金横領の被疑者として同年八月二九日該事件を新潟地方検察庁三条支部に送致するに到つた。

(二)  右事件の送致を受けた同庁検察官藤井洋は同年九月一日参考人として坂井慶助、相田清吾、小池秀吉の三名を取調べ各供述を得たが、この各供述と訴外佐藤を被疑者とする横領事件送致記録とを総合するも、原告が訴外佐藤と共謀して罪を犯したと疑うに足りる相当な理由はこれを認めることができないのに拘らず、漫然と訴外佐藤との共謀による詐欺罪の嫌疑をもつて原告に対する逮捕状を三条簡易裁判所裁判官に請求し、同裁判所裁判官掘内宗治をしてこれを発布せしめて原告を逮捕し、引続き勾留請求をなし同裁判官をして原告を勾留せしめたものである。

(三)  よつて原告は、前記検察官が証拠を検討することなく漫然と逮捕状を得て原告を逮捕し、かつ勾留を請求した過失により昭和二七年九月一日から違法に逮捕、勾留され、約二一日間不当に身体の拘束を受けたものである。

(四)  右の結果、当時新潟県南蒲原郡加茂町(現在加茂市)において織物仲継業を営んでいた原告は、右事実が新聞に掲載され新潟県内の織物業者に知れ渡つたため、その信用を失墜して廃業の止むなきに到り、そのため仲継解約による損害金五万円を蒙り、その後原糸販売業に転業したが、右事件のため約六ケ月間は営業不振であつたことにより少くとも金一二万円の損害を蒙ると共に、その他多大の精神的苦痛を蒙り、これを慰藉するためには少くとも金一〇万円を必要とする。

(五)  而して、原告の右経済的精神的損害は、被告の公権力の行使に当る公務員である前記検察官の過失による違法な職務執行の結果生じたものであるから、被告は右不法行為により原告が蒙つた右損害を賠償する義務がある。

(六)  よつて原告は、被告に対しその蒙つた損害の内金一〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和二八年九月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求の原因に対する答弁

請求の原因(一)の事実は認める。同(二)(三)の事実中、検察官が昭和二七年九月一日坂井慶助、相田清吾、小池秀吉を取調べたこと、検察官が逮捕状を裁判官に請求し、裁判官をしてこれを発布せしめて原告を逮捕し、引続き勾留請求をなし裁判官をして原告を勾留せしめたことは認める。但し、原告を逮捕したのは昭和二七年九月二日午前八時であり、勾留の期間は同月四日から同月二二日までの一九日間である。その余の事実はいずれも否認する。

藤井検事は加茂警察署長より訴外佐藤に対する業務上横領被疑事件の記録送致を受け、これにつき被害者坂井慶助、小池秀吉、相田清吾の三名を取調べた結果、(1) 原告は訴外佐藤と共同し訴外佐藤は京都方面の需要先を又原告は加茂町一帯の出荷先を夫々分担し織物の仲立をして居つたこと、(2) (イ)被害者坂井慶助は昭和二七年五月三一日頃原告の仲介で買主である京都市内の大高商店に人絹小巾かべ絽を直送したがその代金の送金がなかつたので原告に再三照会したところ種々陳弁していたが、調査の結果原告及び訴外佐藤は大高商店と何等の約定をしていなかつた事実が判明したこと、(ロ)そこで坂井慶助が原告を難詰したところ「実は買主が大高商店から丸糸商事に変つた」等と種々弁解していたが之亦代金の送金がないので更に原告に対し厳重に督促している内最後に原告は「誠に申し訳ない佐藤が品物を勝手に処分して競馬競輪等に費消して仕舞つた」と陳謝する始末であつたこと、(3) 被害者小池秀吉が同年五月一〇日頃原告の仲介で京都市内岩井商店に人絹かべ絽二〇〇匹を送付したところ、其の後一〇〇匹分の送金があつたのみなので、原告に対し再三残代金の支払方につき督促したが暫時の猶予を乞うのみで要領を得ないで居る内、岩井商店よりの手紙により同店は一〇〇匹しか買受けて居らず、それ以外の一〇〇匹は訴外佐藤に返品してあることが判明した結果、小池秀吉は結局原告と訴外佐藤が岩井の名前を使用し自分を瞞まして一〇〇匹余分に出荷させたものであると思う旨供述していること、(4) 若し訴外佐藤のみが織物代金横領をしていたもので原告は何等これに関知していなかつたものとすれば原告として当然訴外佐藤の責任を追求し何等かの行動に出なければならぬ筈であるのに何等斯る処置に出です被害者等の難詰に会つて只申訳ないと陳謝するのみであつたこと等の諸事情が判明したので、藤井検事は原告に対し犯罪の嫌疑十分で罪を犯したと疑うに足る相当な理由があるものと認め前記逮捕、勾留の請求をしたので、同検事が同請求をなしたことについて何等の過失もないものである。従つて原告の本訴請求は理由がない。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一、新潟地方検察庁三条支部検察官藤井洋が昭和二七年九月一日坂井慶助、相田清吾、小池秀吉を取調べたこと、同検察官が原告に対する逮捕状を三条簡易裁判所裁判官掘内宗治に請求し、その逮捕状を得て原告を逮捕し、引続き勾留請求をなし同裁判官をして原告を勾留せしめ、その結果原告は約二一日間に亘り身体の拘束を受けたことは当事者間に争いがない。

二、成立に争いのない甲第四九、五〇、五七、六一号証、乙第三五、三六、四三、四七号証によると、原告が逮捕、勾留される基礎となつた被疑事実は

「原告は織物仲継業に従事しているものであるが、佐藤晴雄と共謀の上、第一、昭和二七年五月初旬頃南蒲原郡加茂町大字上条、機業小池秀吉(四四年)方で同人に対し、岩井商店とは一〇〇匹分につき約定したのに京都市下京区不明門通り株式会社岩井商店と約定したから同店宛人絹カベ絽二〇〇匹を直送して貰いたい旨嘘をつき、その旨誤信した同人をして同月二三日頃二〇〇匹を岩井商店方に着荷させ、その頃約定外であると岩井商店から内一〇〇匹分(価格八万六、〇〇〇円相当)の返却を受けて騙取し、第二、同年四月一〇日頃南蒲原郡加茂町大字上条、機業坂井長松方で同人の長男坂井慶助(二一年)に対し、左様な事実がないのに、京都市室町通り三条上る、大高株式会社に約定したから同店宛人絹かべ絽一〇〇匹を送つて貰いたい旨嘘を言つてその旨同人を誤信させ、同年六月初旬頃同人をして右大高会社に同織物一〇〇匹(価格八万五、〇〇〇円相当)を着荷させ、予期の如く大高から約定外の品物として返却を受けて騙取したものである。」

と言うのであつたことが認められる。

三、証人藤井洋の証言の一部(後記信用しない部分を除く)によれば、訴外佐藤を被疑者とする横領事件送致記録のみによつては、原告に対し前記被疑事実についての嫌疑をかけることができなかつたものであるが、検察官藤井洋は被害者坂井慶助、同相田清吾、同小池秀吉の三名を取調べた結果、原告と訴外佐藤との共謀による織物の取込み詐欺と認め、前記被疑事実を認知立件したものであるとの事実を認めることができる。

四、成立に争いのない甲第三〇ないし第三二号証、乙第一五ないし第一七号証によれば、前記被害者三名の検察官に対する供述中、前記被疑事実に関係する供述部分は、(1) 原告は訴外佐藤と共同して、加茂町の織物業者から京都市の問屋へ織物売却の仲継業を営んでいたこと、(2) 原告の仲介によつて坂井長松が大高商店へ売却したかべ絽一〇〇匹分の手形が、期限になつても坂井のもとに来ないので、原告に催促したところ、原告は最初、納期が遅れて大高と交渉中だから多少遅れるかも知れないと弁解し、次いで大高からカベ絽は約定外だから訴外佐藤に返却したとの電信を受けたので更に原告に糺したところ買主を変更したから二、三日待つてくれと弁解し、その後再三催促した結果原告は遂に訴外佐藤が勝手に売却して代金を費消してしまつたと事実を明かすに至つたこと、 (3) 原告の仲介によつて小池秀吉が岩井商店へ売却したカベ絽二〇〇匹の代金中、額面八万六、二〇〇円の手形が送られてきたのみで残代金についての手形が小池のもとに送られてこないので、原告に催促したところ、前記(2) と同様な弁解を繰返した結果、最後に訴外佐藤が代金を費消したと事実を明かすに至り、更に原告は訴外佐藤を訴えてくれと返答していたこと等であつたとの事実を認めることができる。

右認定の事実と成立に争いのない甲第五、一五、五二、五八号証、乙第三八、四四号証を総合すると、原告は訴外佐藤と共同して織物の仲介をしたこと、訴外佐藤がその仲介に係る前記各織物代金を横領費消してしまつたため原告は前記被害者等と訴外佐藤との間にはさまつてその立場上弁解に苦慮していただけのことであつたこと、及び原告が訴外佐藤の代金横領の事実を明かす前に再三弁解を繰返していたとの前記被害者等の供述を認め得るのみでこれにその他の資料を総合しても、原告が訴外佐藤と共謀して前記被疑事実を犯したと疑うに足りる相当な理由があるとは認め難い情況にあつた事実を認めることができ、証人藤井洋の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしたやすく信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そもそも逮捕、勾留の要件である罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由(刑事訴訟法第一九九条第一項、第六〇条第一項)とは、当該被疑事実についての嫌疑を通常人の合理的な判断によつて首肯することができる程度の理由を指すものであり、逮捕におけるそれは勾留におけるそれよりも実質的には程度の低いものであつてもよいわけであるが、いずれにしても客観的、合理的な根拠に基いて認められる場合でなければならず、捜査官の単なる主観的な疑いをもつては右要件を充足することができないものである。従つて、右要件を欠く本件逮捕、勾留は違法なものと言わなければならない。

五、検察官の職務執行は、その殆んどが基本的人権の保障と密接な関連のある場において行われるもので、一歩判断を誤まれば直ちに基本的人権を侵害する危険性を包含するものであるから、職務の執行に該つては極めて慎重な態度と判断を要求されるものであることは多言を要しない。そして、基本的人権は国政の上で最大の尊重を必要とするものとされ(憲法第一三条)、刑事訴訟においても個人の基本的人権の保障を全うしつつ制度の運用にあたらなければならないのである(刑事訴訟法第一条)。然るに、前記認定のとおり客観的、合理的な資料も存在しないのに更に証拠を固めて犯罪の嫌疑を確認することなく直ちに裁判官に対し逮捕状を請求し、これを得て原告を逮捕、更に裁判官に対し勾留を請求して原告を勾留せしめた検察官の行為は、通常要求される注意を欠くものであり、その行為に過失のあつたことは明らかである。

もつとも逮捕状を発し、更に勾留することは裁判官の判断においてなされるものであるが、その前段階において逮捕状を請求し、本件の如き起訴前の勾留を請求するのは検察官であり、検察官の過失に基く右請求がなければ、原告が違法に身体の自由を拘束されることがなかつたわけであるから、裁判官の判断が介入しても、検察官の行為が原因力となつていることには変りないと言うべきである。

六、原告本人尋問の結果によると、この事件が新潟県三条市で発行されている新聞に掲載されたため、原告の居住する同県南蒲原郡加茂町では、原告が訴外佐藤と共謀して犯罪を犯したものとの風評をたてられ、そのため織物斡旋契約を取消され、糸販売業に転業後信用回復までに約六ケ月間を要したとの各事実を認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。右の事実及び前記認定の各事実を総合すると本件逮捕、勾留によつて原告がかなりの精神的苦痛を蒙つたことは容易に推認することができ、諸般の事情を考えて、原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉するための金員は六万円が相当であると認める。

なお、織物仲継解約による損害金五万円及び原糸販売業不振による損害金一二万円の各主張については、具体的な損害の発生及びその数額について何等の立証がない。

七、而して、原告の右精神的損害は、被告の公権力行使に当る公務員である前記検察官の過失による違法な職務執行の結果生じたものであるから、被告は原告に対し右不法行為により原告が蒙つた損害金六万円及び右損害の発生した後で、本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和二八年九月二九日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があると言うべきである。

よつて、原告の被告に対する請求は右の限度においてのみ正当であるから、右部分を認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島正巳 正木宏 石田実秀)

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